自白を尊重する裁判の矛盾(足利事件)
2009年6月24日
宇佐美 保
先ずは「47NEWS」(2009/06/24)から次の記事「菅家さん、取り調べ可視化訴え 日弁連集会で」を引用させて頂きます。
http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009062401000428.html
取り調べ全過程での録音・録画(可視化)を求める日弁連主催の集会が24日、東京・永田町の参院議員会館であり、足利事件で再審開始が決まった菅家利和さん(62)が参加し「取り調べは最初から録画し、第三者が内容を見られるようにするべきだ」と訴えた。 菅家さんは「警察の取調室で約13時間、否認し続けたが聞き入れられず『もう構わない』と思って自白した。本当に刑事が怖く、その後も留置場で考えた作り話をした」と当時の状況を説明。 裁判についても「取り調べ状況について話す機会がなく、話せたとしても信じてもらえなかっただろう」と述べた。 女児を殺害したとして1991年に逮捕された菅家さんは、捜査段階と一審宇都宮地裁の公判途中まで犯行を“自供”。その後否認したが、女児の下着に付いた体液と菅家さんのDNA型が一致したとする捜査段階での鑑定結果から、自白は信用できるとされ、最高裁で無期懲役が確定した。 23日にあった東京高裁の再審請求即時抗告審決定は、新たに行った再鑑定でDNA型が不一致だったとする結果を「自白の信用性に疑問を抱かせるのに十分な事実」と指摘、再審開始を認めた。 |
そして、この「取り調べ可視化」に関しては、朝日新聞(2009年2月5日)の記事も引用させて頂きます。
「私自身が経験している。本当に国策捜査はこわい。(取り調べの)可視化を検討いただきたい」。新党大地の鈴木宗男代表が5日の衆院予算委員会で、あっせん収賄罪などで逮捕・起訴された経験をもとに、取り調べを録音・録画する「可視化」の導入を訴えた。 鈴木氏は02年6月、北海道開発局の工事などをめぐるあっせん収賄罪などで東京地検に逮捕、起訴された。鈴木氏は無罪を主張し、「国策捜査だった」と批判している。 可視化について、森法相は「刑事手続きにおける取り調べ機能を維持するうえで慎重な配慮が必要」と明言を避けたが、鈴木氏は「参考人だとか証人は事件と関係ない。どうしても検察に誘導される」などと語った。 |
更には、朝日新聞(2009/06/24)の「虚偽自白はだれにも起きる」との題目の浜田寿美男氏(奈良女子大数授)の記述も引用させて頂きます。
なぜ無実の人が「虚偽自白」をしてしまうのか。大きな要因は、捜査側が「犯人だ」と確信していることだ。 「虚偽の自白」にはいくつかのパターンがある。問いつめられているうちに記憶に自信を失って、自分がやったと思ってしまう「自己同化型の自白」。無実だ自覚していても、取り調べのつらさに耐えられずに、捜査官に迎合してしまう「迎合型の自白」。菅家さんの場合、この迎合型の自白に近いと考える。 暴力はなくても、.朝から晩まで調べられていると、聞き入れてもらえない絶望感から、ツミを認めてしまう。認めた後は、捜査官から言われるままに従ったり、架空のストーリーを自ら考えたりしながら、自白調書がつくられる。「犯人を演じる」という倒錯した心理状態になるため、菅家さんは公判途中まで罪を認め、弁護人もそれを信じてしまった。 「虚偽自白は誰にでも起こりうる」。市民が裁判員として法壇に並ぶ前に、それが改めて明らかになったことには意味があると思う。 冤罪は犯罪被害者のほかにもう一人の被害者を生み出す。さらに、元の犯罪の真相も見えなくしてしまう。虚偽の自白を防ぐには、取り調べを録音・線画する「可視化」しかない。誓察と検察は、捜査のスタイルを根本的に変えざるを得ないはずだ。 ◇ 専攻は法心理学と発達心理学。甲山事件、名張毒ブドウ洒事件など数々の自白分析にかかわる。著書に「自白の心理学」など。62歳。 |
浜田寿美男氏の書かれる「虚偽の自白」の2つのパターンのどちらも、鈴木氏の恐れる「参考人だとか証人は事件と関係ない。どうしても検察に誘導される」誘導自白を生み出すでしょう。
それに、「自己同化型の自白」と同じような体験を私はした事があります。
何年か前、私は自転車に乗って(青信号を確認した上で)横断歩道を渡ろうとしていたら、左折してきた車に自転車を潰され、私は放り出されました。 付近にいた人々が救急車を呼んでくれて、その上、
私は救急車に乗って病院へ行きました。 幸い、頭などへの影響はなく、手などの傷(全治数週間でしたかしら?)で大事には至らないと病院は診断してくれましたので、事故処理のお礼を言いに、事故現場近くの交番に行きますと“加害者が車で病院からここへ送ってきたのではないのか?!” “いいえ、バスに乗って来ました”“そうか!?まあいいから、直ぐにパトカーに乗れ!これから警察の本部に行こう” 警察につくと担当の警察官と、その机の前に加害者が座っていました。 そして、
そこで、私は強行に
と反論しました。 それでも、警察官は何度も何度も“お前が赤信号を無視した”とがなり続けました。 そのたび私も自分の正当性を主張し、反論しました。
それでも
こんな調子で押し問答をしていたら、いつ警察から変えれるかも分からないとも思いました。 そして、
私の潰された自転車はフレームが壊れかかっていて買い換えたいな〜〜!とも思っていましたから、“まあいいや!新しい自転車を買って貰えるのなら”と思ったりして示談としました。 でも
そして、
(警察の立場では、「交通安全週間」での交通事件はゼロであって欲しいはずです。 加害者も今後の保険の掛け金の事を思うと示談が望ましいのでしょう) |
この私の体験から、先の朝日新聞の「鈴木氏は「参考人だとか証人は事件と関係ない。どうしても検察に誘導される」などと語った」に真実味を感じ、「取り調べ可視化」の重要性を認識するのです。
ところが毎日新聞(2009年6月10日)で次の記事を目にします
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090610k0000m040049000c.html
足利事件で無期懲役確定後に釈放された菅家利和さん(62)が「刑事に髪を引っ張られたり、『早くしゃべって楽になれ』と厳しく追及された」などと栃木県警の捜査手法を批判している問題で、県警の白井孝雄刑事総務課長は9日の県議会文教警察委員会で「(取り調べで)暴行や自供の誘導、強制があったとは認められないと裁判で認定されている」と述べた。 また、釈放を機に導入を求める声が高まっている取り調べの録画について白井課長は「取り調べは容疑者との人間関係を構築し供述を引き出すもの。録音・録画を容疑者が意識すると、それが困難になり(捜査に)支障を来す」と慎重姿勢を見せた。【吉村周平】 |
朝日新聞(2009/06/24)には次のような記述を見ます。
菅家さんは一審の途中から否認に転じ、「自白」は虚偽のものであると主張した。 二審から担当した弁護団は、菅家さんが捜査段階で捜査官から「科学捜査だから逃げられない」と告げられて「自白」を強制されたと説明。「DNA型鑑定が独立的価値のある証拠として優先され、白日の信用性の厳密な検討が忘れ去られた」と論じた。そして「自白」の様々な「矛盾」を指摘していった。 @菅家さんは女児の遺体が見つかった河川敷で行われた実況見分で遺体を隠した場所を示すことができなかった。 A犯人だけが知っている「秘密の暴露」が「白白」の中にはない。 B女児が首を絞められた跡は、「向かい合って両手で輪を作るようにして絞めた」という「自白」の通りだと付かない。 |
これらの3つの「自白」の様々な「矛盾」が存在しながら、何故、菅家さんの自白が何故「(取り調べで)暴行や自供の誘導、強制があったとは認められないと裁判で認定されている」と述べる事が出来るのでしょうか?!
そして、このような自白の矛盾を今以って認めようとしない警察関係者たちが「取り調べは容疑者との人間関係を構築し供述を引き出すもの」等と言えるのでしょうか?!
自らの誤りを誤りとして認めようとしない方々が、どのようにして「容疑者との人間関係を構築」するのでしょうか?!
更には、「虚偽自白はだれにも起きる」との事実を裁判関係者がしっかりと認識していたら、「(取り調べで)暴行や自供の誘導、強制があったとは認められないと裁判で認定されている」という事態には陥らないはずです。
そして、、
自白に関して何よりも私が不思議に感じるのは、
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以下は次の拙文《無罪を主張すると殺される(飯塚事件)》に続けさせて頂きます。
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